百年先の愛を誓うよ。

大学に行くってどういう事なのかなって、某予備校のアンケートを答えながら、また考え込んでしまった。

"あなたが、その学部を志望する理由は何ですか?"
"学校以外の場所にいる事が考えられず、将来、教師になる事を目指しています。その為に、社会における、ひいては個人一人一人における、教育というものを、専門的に勉強する必要があると考えるからです。"


僕は、横国の教育人間科学部を志望している訳で、格好よく、そんな事を考えたけど、実際には、舞台やテレビ局、ラジオ局の道を少なからず意識してるし、他にも興味がある職種はある。色んな事を考えた結果、教育という道を主にしつつも、視野を広げやすいという理由で、教育学部ではなく、教育人間科学部という学部を選択した。恥ずかしい話だけれども、過信かもしれないが、僕の天職は、教師だと思っている。正しく言えば、天職にする為に教師になろうとしてるのかもしれない。どちらにしても、教師を目指している。


しかし、これは大学に通う理由になっているのか、疑問に思った。結局、卒業後の事しか考えてないのではないか。大学で何をしたいのかなんて、もしかしたら、何も考えてないのではないか。確かに、卒業後を考える事も必要だとは思う。いわゆる、未来から逆算するという考え方だ。僕の場合、教師になる為に教職課程がある大学、教員採用率がいい大学。そこに入る為には、偏差値がどれだけ必要。その為にはこれだけ勉強して…という事。
もちろん、それだけでは無いと考えているが、でも、僕はその比重が大きくて、現在から未来へ順を追う事をしていない気がする。教師になる為に大学に行くのか、大学に行って教師になるのか。


今の教育制度、更には社会的習慣から考えると、大学は逆算方式の通過点に過ぎないのかもしれない。その流れに従う事が、社会的地位であったり、高い給料であったりに近付く事なのかもしれない。ただ、その考え方は違う気がした。しかし、「どう違うのか」と聞かれても、答えられない自分がいる。


結論を言うと、それを答える為に大学に行く。大学だけではなく、学校は生徒の現在の為の場所なのか、それとも生徒の未来の為の場所なのか。それに関わる勉強をしようと思う。その結果、最前線の教師に繋がれば幸いだが、この国の教育制度に携わりたいと思えば、国家公務員を目指すだろうし、変えたいと思えば、国会議員を目指すと思う。舞台の道に進むかもしれないし、テレビ局を目指すかもしれない。ただ言える事は、4年で教育を身につける事。


余談だけど、自分のやりたい事を、某省庁のナンバー2、3クラスでやり遂げた僕の祖父は、物凄い存在だったんだと、今はただただ、その存在感を感じる事しか出来ない。
僕の夢は、少なくともその方向性は、変わったと思う。